「人工知能と人との理想的な共栄」
現代になり、次世代を担う人工ツールの一つとして「人工知能(AI)」が様々な分野で応用されています。たとえば携帯会社や銀行などでお客さんと応対するロボット『Pepperくん』などのように目に見える形で応用されている例もありますね。
10月26日にトヨタ自動車は、オリンピック開催の2020年をめどに、自動自動車(ロボットカー)の実用化の推進を発表しました。これは運転手の代わりに自動車(に組み込まれた人工知能)が、目的地まで乗員を運んでくれるもので、飲酒・睡魔による事故もありません。その半年前となる4月には、中国で世界初の「人間の胚操作」実験が行われ、「胚操作」を実用化し、遺伝病を出性前に治療する事を目的とした、プラグマティックな発想をしました。
2015年に入り、日本のメガバンクがコールセンター業務にIBMのAI『Watson』を採用し、プログラムをインプットした上で行える業務はほとんどこの「人工知能」に任せるという現状が、既にアメリカでは成立してきている様子。AIは休憩する必要はないし、サボることもない。愚痴もこぼさないし(人間らしくプログラムすれば可能だろう)、過労死もない(機械ゆえ壊れることはあっても)、ともなれば、働き手を欲しがる企業側としては「ぜひに!」と欲しがる人材となるでしょう。さらにこの「人工知能」は医療分野にも飛躍的に活用されて、人の様々な病原を突き止めるという、「機械ならではの正確さ」を発揮した実力を見せ始めています。
けれどこのような素晴らしい人工知能(AI)の飛躍的発展も、やはり世間ではデメリットを引き連れてきます。
●人間の能力が、人工知能(AI)に取って代わられる。
人工知能を使用したロボット等が実際に世間へ出回ってしまえば、これまでその分野で活躍してきた人間への必要性が失われる。
●臨機応変の対応ができない。
「機械にミスは付き物」という言葉の通り、いくら人工知能とはいえ、予めプログラムされた選択肢・学習能力がなければ、臨機応変の対応ができない。
細かく挙げれば切りがありませんが、この二つを思う限りでも、従来の人の生活が大きく変えられることは想像に容易いでしょう。
「人工知能(AI)が医療を変える! わずか10分で白血病を見抜き患者を救った『IBM Watson』の底力」と見出しを冠し、颯爽と登場した「IBM Watson」も、その医療分野での活躍を期待されながら、世間において人との快適な共存を図る事こそ「次世代を担う人工ツール」を創造するステップになるのでしょう。